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朝日新聞 (1980年12月9日)

『吉祥寺変奏曲』


近鉄裏の通称ピンク街。ギンギラギンのネオンをくぐり抜け、小さなビルの二階のドアを引く。
「聴け」とばかり、いっぱいにボリュームをあげたモダンジャズが耳に飛び込む。
ジャズ喫茶「メグ」。主人は寺島靖国さん(四二)。十年前に開店した。

担う喫茶店文化

窓はない。真っ黒な壁に針の動かない古時計。床には二つのたるをデンと重ねる。客はほとんど男性だ。長髪やヒゲが多い。目を閉じ、両腕を組む。雑誌「世界」を開く者もいる。会話は厳禁である。
「ジャズ道場」を称する寺島さんは、くわえたばこの高校生などは、即座に断る。「出ていって下さい」
寺島さんは四店の持ち主だが、一号店の「メグ」はモダンジャズの人気後退で、最盛期一日百人いた客は六十人ほどに減った。
狭い区域に二百余もの喫茶店。音楽、コーヒー、インテリアで個性を競い合う。
ジャズ喫茶「ファンキー」の野口伊織さん(三七)は八店を持つ。寺島さんとともに吉祥寺の喫茶店文化の担い手と、かいわいでいわれる。二人のどの店もインテリアなどが個性的。しゃれたふん囲気にひかれてか、若者たちは主に駅北側に散在する二人の店に集まる。
ともにジャズキチ。が、二人のジャズ観の違いが一号店の経営方針にもっとも表れる。

ジャズ観で激論

「ファンキー」は三十三年の開店。「メグ」と同じモダンジャズ鑑賞店だった。が、野口さんは二年前の新装開店の際、窓をつけて明るくした。音量を半分に抑えて、いま流行のジャズとソウル、ロックなどがごちゃ混ぜになったフュージョン(融合)・ミュージックを流しはじめた。とたんに女性客が増え 店内はかしましいおしゃべりに満ち、売り上げは数倍にハネ上がった。
二人はジャズ喫茶店主の集まりで激論したことがある。
野口さんはいった。「ジャズは変化する。フュージョンは新しいジャズだ。商売をやる以上、客に合わせて店のスタイルを変えるのは当然じゃないか」
寺島さんは反論した「ジャズはジャズ。フュージョンは別のジャンルだ。志をもって始めたメグについては、商売抜きでスタイルを変える気はないな」

さながら早慶戦

プチロード。赤レンガを敷きつめ、パリの街路灯をともす。四十五メートルの小路。しゃれたブティックや喫茶店などの連なる○○○○○○○○○○九年、ここで軒を並べた。寺島さんがまず「モア」。直後に野口さんが「西洋乞食」。
寺島さんはさらに二店。野口さんも九月末、倒産寸前の店にすばやい渡りをつけた。
「近く、ここで九店目を出すよ」。野口さんは最近、レンガ敷きの上で得意そうに笑いかけた。寺島さんはとっさに、そのハス向かいに来年五店目を出そうと決意した。
寺島さんは早大独文時代、新宿のジャズ喫茶「木馬」に通いつめた。野口さんは慶大法学部卒。大学のジャズ・オーケストラでアルト・サックスを吹いた。
プチロードの一角になる名曲喫茶「こんつえると」の水津正生さん(65)は二人の攻防を見守ってきた。「早慶戦だ。若さっていいね」



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